歩行者の視点
信号のない横断歩道を歩いて渡ろうとする時、車が何台も通り過ぎてなかなか渡れない状態が続きましたが、一台の車が僕の存在を意識したのか止まってくれました。
僕は「車が止まってくれた」と思い、頭を下げて渡りました。
昔から教えられていることです。
「車が止まってくれたから早く行きなさい」という言葉を、何度も耳にした事があります。
しかし本来、車が止まるのは当たり前のことです。横断歩道の前には停止線があるわけで、一時停止しなければなりません。停止線が無くても、まず人が近くにいたら徐行、渡りそうな気配があったら停止するのが、日本で車に乗っている人間なら誰しもが知るルールです。
つまり歩行者が頭を下げる理由などないわけです。むしろ一時停止しなかった奴らが歩行者に頭を下げて謝罪すべきです。
感謝する理由なんてありません。堂々と横断歩道を渡ればいいのです。
ドライバーの視点
が、僕が運転している時の話です。横断歩道を渡りそうな歩行者がいたので、僕はちゃんと停止線で車を停めました。
すると歩行者は、こちらに頭を下げることなく、スマホを見ながらスタスタと渡ったのです。
僕は苛立ちました。どうして譲ってやったのに頭を下げないのだ、と。
譲って「やった」。咄嗟に浮かんだ言葉には、信じられない程の傲慢さが刻まれていました。
僕は車に乗っている時、明らかに歩行者を見下していることに気がついたのです。車に乗っている方が偉いのだという、卑しさです。
浮き彫りになる力関係
問題なのは、これが僕の個人的な精神の問題ではないことです。
僕だけでなく、何百何千という人々が、横断歩道を渡る時に頭を下げています。僕は何度も見てきました。
つまり、車が偉い、歩行者が弱いという権力構造を、歩行者が完全に受け入れてしまっているということなのです。
車と人で、強いのは車です。強いからこそ、法律上は車が弱いのです。それなのに、人は法律上の立場を忘れて、物理的に強い車に媚びへつらうのです。
まるで、会社員には有休をとる権利があるのに、上司が怖くて言い出すのを自粛しているようなものです。法律を味方につけているにも関わらず、目の前の権力構造に敗北しているのです。
それに気づきショックでした。僕は全く気づかない内に、完全にその権力構造に飲み込まれていたのです。車に乗っている時は自分を偉いと思い、歩いている時は車に対して「どうか轢かないで下さい、頭を下げるので」という態度なのです。
結論
気づいた後も、僕はどうせ車に対して頭を下げ、歩行者に対して傲慢な態度をとってしまうのでしょう。
それが習慣だからです。
もし物騒な態度をとって車に轢かれたら嫌ですし、頭を下げないなんて常識がない人だと本来仲間である歩行者に思われるのが嫌だからです。
自分が情けないです。
こんな身近な権力にすら対抗できず、それどころか権力構造にすら気づいていない僕たちが、政治をはじめとする今の腐敗した権力の数々をどうにかすることができるのでしょうか……なんて。
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