シュノーケリングツアーの後、流石に疲労が訪れたため睡眠をとり、太陽が沈みかけた時に再び動き出しました。起きてからは寂しい気持ちでいっぱいでした。翌日の早朝のフライトで、僕はフーコックから離れる予定だったからです。
体は疲れていて遠出をする気にはならなかったのですが、じっとしているのも耐えられず、近所を散策しました。

たった二日の滞在なのに、街並みや空気感が凄く体になじんでいて、帰ると思うと胸が締め付けられました。僕は観光で賑わうような海沿いの町が、狂おしい程に好きなことを改めて実感しました。海のアクティビティや綺麗なビーチが発する陽気な雰囲気と、一通り遊び終わった後の疲労感が混在し、のんびりとした空気を作っているのがいいんです。フルーツが美味しく、半袖半ズボンのラフな格好で歩け、気持ちのよい風が吹き、人々の笑顔がはじけている。
フーコック島が、僕の生涯のお気に入りの場所の一つになったことを、この時確信しました。

昼食を食べていなかったので、ふらっと立ち寄った店で食事を取りました。
夕方なので、まだお店は空いています。空いているというか、客は僕のみでした。

ドラゴンフルーツスムージー(砂糖あり)です。フルーツジュースを頼む時は、しばしば砂糖アリかナシかを聞かれます。甘党の僕は、ついつい砂糖アリで、と言ってしまうのですが、フルーツ本来の味を楽しみたいのなら、砂糖ナシを選ぶべきなのかもしれません。いやしかし、砂糖なしだと美味しくはないため、砂糖アリのオプションが追加されているのでしょうか。未だに正解がわかりません。

最後くらいがっつりとした海鮮を食べようとしていたはずなのに、気がつけばBBQを頼んでいました。
美味しい味付けのビーフ串でしたが、分厚いゴムを噛んでいるのかというくらい固く、顎が憔悴のあまり外れてしまいそうでした。量が少なく見えたので、別の店舗でも何か食べようと思っていましたが、20分、30分ずっともぐもぐと噛んでいる内に、その気持ちもすっかり消えました。注文する料理を間違えましたねこれは。

顎を痛めながら、食事を減らせずにいるうちに太陽が傾き始め、どんどんと寂しさが膨れ上がってきました。まだ昼であるうちに、何をするわけでもないですが、とにかく何かしたいという気持ちが悲痛を伴って生まれていたのです。しかし太陽は傾き、食事はなかなか進まず、薄暗さが広がっていきました。
ようやく食事を食べ終えた僕は、顎を抑えながら、いく当てもなくフラフラと歩きました。フーコック島は、正直リゾート地としては二流です。あまり行こう!と思える中規模の観光地がありません。めっちゃ巨大か、めっちゃ自然かの二択しかありません。なので、体も疲れ、時間もあまりなく、顎も使い物にならない僕は、できることがあまりないのです。

フーコック犬と戯れたり、

ドリアンを眺めたり

そして結局、ベトナムのドンキこと、キンコンマートに行きました。

ここで、お土産や気になる飲食物、フーコックとかかれたTシャツなど、あらゆるものを爆買いしました。行く当てもなく、お金も余っていたので、豪遊です。

なんだか、浮かれて買ってしまった、という感じ

買い物を済ませると、すっかり外は闇に包まれていました。また悲しみが押し寄せます。旅行をする度に思うのが、僕の旅が終わる時に、誰かの旅は始まっているんだな、という諸行無常に近い寂寥感です。大袈裟に言うと、生と死を実感しているような感覚です。誰かが死んだ時に僕は生まれ、僕が死ぬ時、誰かがまた生まれるのです。思考がどんどん飛躍していき、寂しさが膨れ上がっていきました。
夏のいいところは、最高の楽しさと、最高の寂しさを含有していることです。僕はフーコックで夏を最高に楽しみ、そして大いなる寂しさの渦に包まれていたのです。この寂しさを感じることで、楽しい夏に戻りたいという気持ちが湧き起こり、また人生を頑張ることができます。

寂しさのあまり、帰る前にふらっとアメリカンバーに寄ってお酒と音楽を楽しみました。ようやくそこで音楽のやかましさと、陽気すぎる西洋人たちの姿にちょっと幻滅して、帰って寝ようと思いました。
とんな旅にも、いつかは帰る時がくるのです。

翌朝早朝5時。僕はお世話になった、部屋の鍵がかからないホテルを後にして、7時のフライトで、フーコックの大地から飛び立ちました。


これにて、僕のフーコック旅行は終わりです。
そして次回、ベトナム南部最大の都市、ホーチミンへ。そこで僕は、散々な目に遭うのです。
続く
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